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日本大学のスポーツ競技を発信するメディア interview 日本での学びと経験が未来の自分の糧になる。 Vol.035 馬術 Anna Bortnikアンナ ボルトニク(生物資源科学部・4年) #馬術部 2023年06月30日 馬術を続けるためのチャレンジ アンナ ボルトニク選手は2019年7月、馬術競技に打ち込める環境を求め、単身ポーランドから来日した。 5歳の頃に馬術を始め、10歳からスポーツクラブに入り本格的に馬術競技に取り組み始めたアンナ選手は、18歳までポーランドで数々の試合に出場。やがてスポーツ推薦のような形でフランスの高校へ留学し、ポーランドから連れて行った自分の馬と共に3年間、ヤングライダーの大会を戦った。しかし、最後のヨーロッパ選手権が終わり、馬を母国に帰したあとは、馬術を続けていく手立てがなくなってしまった。 「欧州では、大学で馬術をできるような環境がありません。どうしても馬術を続けたかったので、フランスで1年間、週末だけ乗馬クラブに通ったり、知り合いの馬に乗ったりしていましたが、やっぱりそれはスポーツじゃないなって」 そんな時、高校の友人から日本大学馬術部が欧州の選手を探しているという話を聞いた。「これはチャンスだ」と、Facebookを使って直接連絡を取った。 「ドイツやフランスなどの国々に向けて、馬術競技もできて日本語も学べるので、チャレンジする学生を求めますといった募集広告を発信したら、応募者がいっぱいきたんです」と話す馬術部の小川登美夫コーチ。「その多くが、馬術の先進国に住んでいて実績もあるから、日本人に教えてあげる的な感覚を持った人たちでした。その中でアンナ選手は、純粋に馬術をやりたいという気持ちがあって、フランスにも留学経験があるし、真面目そうな印象だったので、一度会ってみることにしました」 ドイツのミュンヘンで、アンナ選手とその母親と会った小川コーチは、面接と実技試験を行なったうえで、高校卒業後の来日と日大入学の話を進めることにした。 「その時はもうアンナ選手1人に絞っていましたが、本人の気持ちがどれだけ本気なのかを確かめる感じでした。実際、とても熱意があったし、お母さんも背中を押している感じだったので、大丈夫だろうと思いました」 「郷に入っては」の境地で 「馬術をやめたくない」という思いと両親の理解もあって、アンナ選手は日本への留学を決めた。だが、言葉の問題をはじめ「不安はいっぱいありました」という。「フランス留学の時も、最初はフランス語がわからなかったけれど、4年間で話せるようになりました。だから、日本語も何とかなるだろうと思った」というが、「もしフランスに行くというチャレンジをしていなかったら、日本に行くというチャレンジはしなかったかも。そして、日本に来ていなかったら、たぶん馬術競技は続けていなかったと思います」。   来日してからの半年間を日本語の勉強に費やした後、2020年4月、22歳のアンナ選手は日本大学生物資源科学部に入学し、同時に馬術部に入部した。 「1年生の時は、まだ日本語の理解力も低かったし、コミュニケーションは難しかったですね。2人ほど、英語を話せる人がいたので、それは本当にありがたいなと思いました。特に敬語は難しくて…今でも難しいですけどね(笑)」   さらに苦労したというのが、欧州にはない“先輩後輩”という日本ならではの文化。「ヨーロッパにはないシステムなので、なかなか馴染めなかったです。入学した時点で先輩方より年上の外国人に、どう対応したらいいのか、皆さんも戸惑われたと思います。私もどう接したらいいかわかりませんでした」と当時を振り返る。それでも、先輩には積極的に「おはようございます」と挨拶をし、下級生が担う部内の仕事も率先して取り組むなど、日本的な文化や考え方を理解、順応するように日々努めた。時には「何で?」と思うようなこともあったが、「フランスでの苦労を思い出して、あれを乗り越えられたんだからって。ここには大切にしている馬もいるし、こういうチャンスはもう二度ない」と自分を奮い立たせた。何よりも「馬術をもっと学びたい」という強い思いがあった。 もしもドイツでの面接時に、日本独特の文化についての話を聞いていたら、「ちょっと考えさせてくださいって言ったかもしれませんね。日本の文化をもうちょっと調べとけば良かった」とアンナ選手は笑った。 「日大の馬術部は、1つの大きなファミリーだと感じていたので、私もその中に入りたかった。外国人だけれど、皆んなと同じ気持ちなんだというのを伝えたかったから、自分から作業などをやるようにしました。フランスの時に比べれば、日本人の方は最初から優しくて、言葉はわからないけれどウェルカムという感じで、私を受け入れようとしてくれました。それに気づいたので『じゃあ、もっと頑張るぞ』という気持ちになりました」。   またここでは、練習メニューやスケジュールなど、自分で決めて行動しなければならず、“自分で考える”ということが必要だった。コーチが毎日トレーニングを見てくれる欧州のやり方に慣れていたアンナ選手にとっては初めての経験だったが、「自分で正しいかどうかわからなくても、とりあえず進んでみる。間違えたなと思った時でも、次第にその理由がわかるようになったし、間違えたら1歩戻ってやり直すというのを続けていくしかないと気づきました。そういうところでも成長できたかなと感じています」。 「桜彩」を連れて帰りたい 馬術競技における技術は、馬との信頼関係があってこそ成り立ち、成長していくもの。入部して4カ月後の8月のホーストライアルで優勝を飾るなど、1年生の時からコンビを組んで多くの試合に出場してきた「桜彩」(鹿毛・12歳)は、アンナ選手にとって日大馬術部での思い出そのものだという。 「試合で組む馬や世話の担当を変わることも多い中で、私は入部以来ずっと、桜彩の世話をやらせてもらっています。人とのコミュニケーションは難しかったけれど、手振りなどを使うことで馬とはすぐに通じ合えたと思います。日本の馬が、私の日本語の指示をわかってくれた時はうれしかったし、安心しました」 さらに「これまで楽しいことや難しかったことなどいろいろありましたし、桜彩のことを100%わかっているとは言えませんが、お互いの信頼関係は3年間ですごく強くなったと思います。桜彩との出会いが、日本での一番の思い出と言ってもいいくらい。欧州に帰る時は、桜彩を日本のお土産として持って帰りたいです(笑)」 2023年5月、全日本総合馬術ヤングライダー選手権のEV100競技(クロスカントリー競技)を、桜彩とのコンビで優勝。 チームのためにできることを 馬術部が協力した「小学生乗馬体験教室」のイベントで子どもたちとふれあったアンナ選手。「私が初めて馬に乗ったのも、こういうイベントだったので、馬を曳きながら、懐かしいなあと思っていました」 藤沢市六会にある馬術部の練習場の近くで一人暮らしを始めて約4年。「フランスでも一人暮らしをしていたので、自炊もしているし全然だいじょうぶです」というアンナ選手は、生物資源科学部での学びも「学科で1・2番の成績だから大したものです」(小川コーチ)と、馬術部での活動以外でも充実した生活を送っている。   「部のみんなといる時もいいんですけど、一人で過ごす時間も必要です。私は海がとても好きなので、時間がある時は江ノ島へ海を見に行きます。海を見ているだけでリラックスできますね。ウインドサーフィンも好きなんですが、日本ではチャンスがありませんでした」 さらに日大生であると同時に、昨年10月からはフランスの大学院生としても学んでいるという。「4年になって単位が取れているので、ちょっと他のこともやりたいなと思って大学院に行くことにしました。いまは並行して学んでいます」 「この3年間はとても早く感じました」と話すアンナ選手は、今春、最上級生になった。日大でのラストイヤーに向けては、「これまで見つけた弱点を克服できるようにすることが目標。自分の成長のためのプロセスはいろんなやり方があると思うので、焦らずに探っていき、その先に結果がついてくればいいと考えています」と話す。さらに、「4年生として後輩たちの手本となるような強い姿を見せていきたいですし、個人で頑張っても、最後はチームの力が1つにならないと優勝できないということを皆んなに伝えたい。そして、日大の伝統を引き継いでもらうため、自分の経験や学んだことを伝えていきたい。インカレ13連覇への貢献も、その先のことも大事なので」と、チームの未来にも思いを寄せる。 「日本に来て良かった」という一言には、喜びと誇りが感じられた。 将来、アンナ選手のように海外から日大馬術部への入部を希望する選手が現れたとしたら、どんなメッセージを伝えたいかを尋ねると、アンナ選手はしばらく考えた後に、ポケットから翻訳機を取り出してワードを打ち込み、変換された言葉を口にした。 「忍耐力、ですね」   「やっぱり1年生の時が一番大変ですが、学年が進めば責任も増えるけれど、少しずつ楽になってくるので、あきらめずに頑張ってほしい」と話し、「私は馬術をするためにここに来たし、馬を大切にし、馬のためにやらなければいけないことは全部やるという覚悟でいました。そういう最初の気持ちを忘ずに頑張れば、苦しいことも耐えていけると思うので、チャレンジし続ける気持ちを大切にしてほしいです」と、自身の馬術愛を凝縮したような言葉を続けた。   さらには「ほかの人と自分を比べないように。ほかの人と違うことは絶対にあると思いますが、それでOKなので、自分に自信をもってほしい。日本では“皆んないっしょ”という文化がありますが、自分の考え方というのがあっても全然いいと思うので、そこは大切にしてほしいと思います」とまだ見ぬ後輩へエールを贈る。 今後は、試合の合間をぬってインターンシップに参加するというアンナ選手。それは就職のためではなく、めざす将来に向けて社会人としての経験を積むためだ。夢は「国際馬術連盟に入って活動すること」と話し、「これから先も、乗馬と離れません。ずっと乗馬に関わっていきたいですね」と、その目を輝かせて微笑んだ。 入部当初からコンビを組んできた桜彩。「チビちゃ~んと声を掛ければ、その音だけでわかってくれる部分もあると思います」 Profile Anna Bortnik[アンナ・ボルトニク] 生物資源科学部・4年。1997年生まれ。ポーランド出身。Lycee St-Louis高(フランス)卒。 欧州で馬術大会に出場していたが、日本で馬術を学ぶために来日し、2020年4月に本学入学。1年次からレギュラーとして数々の大会に出場。ポーランド語ほか英・仏・西・日の5カ国語を話せる。 アスリートインタビュー一覧へ 特集FEATURE アスリートインタビューINTERVIEW スポーツSDGsSPORTS SDGS 期待の新入生ROOKIES 監督の哲学PHOLOSOPHY 学生記者リポートSTUDENT REPORTER --> 競技部一覧CLUB TEAM 体育施設紹介 学生寮紹介 ニュース 日本大学SPORTSについて 日本大学競技部スポーツ宣言 日本大学競技スポーツ宣言 SPORTS-DECLARATION デジタル版 SPORTS NIHON UNIVERSITY DIGITAL 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