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大阪市では、平成15年度に住吉区の都市景観資源(旧・指定景観形成物)1件を登録するとともに、平成22年度に住吉区の都市景観資源の発掘のため、「わがまち自慢の景観」を募集し、大阪市都市景観委員会の審議を経て、平成24年3月30日に27件を都市景観資源に登録しました。また、令和2年5月15日に1件を追加登録しました。都市景観資源一覧表宗教法人住吉大社吾彦山大聖観音寺(通称あびこ観音)木下家住宅浅沢神社 極楽寺真宗大谷派西光寺 苅田の大楠止止呂支比売命神社大阪市立大学(杉本キャンパス)蔵のある住宅大歳社住吉子安地藏寺(すみよしのこやっさん)上田家住宅熊野街道(HOPEゾーン内)天王山東福寺 池田家住宅生根神社蔵のある屋敷町高谷家住宅WILL帝塚山帝塚山古墳帝塚山スタジオ(市川家住宅)荘厳浄土寺神須牟地神社保利神社大依羅神社閻魔地蔵尊万代池公園路面電車の走る住吉これまでに登録している都市景観資源平成15年度登録の都市景観資源(旧・指定景観形成物)宗教法人住吉大社(しゅうきょうほうじんすみよしたいしゃ)登録年月日平成15年4月11日所在地大阪市住吉区住吉2丁目9番89号概要 草創は神功皇后の海外渡航時の安全祈願の故事に由来すると伝えられるが、現在の本殿4棟は、文化5年(1808年)造営されたもので、桧皮葺き・切妻造り妻入りの住吉造りと称され、市内唯一の国宝建造物である。境内には、慶長11年(1606年)に架設され住吉大社の象徴ともいえる朱塗りの太鼓橋(反橋)をはじめ、重要文化財の石舞台や南門・東西楽所などや、全国から献灯された石灯ろう600余基などもある。講評 住吉大社はその杜と共に、上町台地南端の崖と浜の出会うポイントに位置し、大阪のまちの景観に強い影響を与えてきた。文学や和歌・句に詠われ、人々の心の中にイメージされる景観としての価値も高い。「美しい日本の国土を後世に残すこと」を景観のめざすところと考えると、難波宮造営の頃より現在地にあり、市内唯一の国宝建造物の社殿を中心として緑豊かな杜を持つ住吉大社は、大阪を代表する景観物といえる。 [大阪市都市景観委員 岩井珠惠]平成24年3月30日登録の都市景観資源吾彦山大聖観音寺(通称あびこ観音)(あびこさんたいしょうかんのんじ[つうしょうあびこかんのん)]所在地住吉区我孫子4丁目1番20号概要 正式には「吾彦山」、寺号を「大聖観音寺」と称し、日本最古の観音信仰道場・厄除けの寺として有名。昔、この地に住んでいた依羅吾彦(よさみのあびこ)という勢力のある一族が、百済の聖明王から身の丈約5cmの小さな観音像を贈られた。人々は御堂を建てて信心したが、今から約1400年前、聖徳太子がこの地を訪ねられた際、観世音菩薩のお告げを受け、当寺を創建されたと伝えられている。講評〔大阪市都市景観委員会〕 厄除けの寺として、地域住民によく知られた歴史のある寺である。樹齢700年のひときわ大きな楠がまちのシンボル的な景観となっている。門構え、瓦や白壁の風景に格式と広がりがあり、五色の旗も印象的である。このページの一番上へ戻る木下家住宅(きのしたけじゅうたく)所在地住吉区上住吉1丁目8番28号概要 「住吉街道」沿いに建つ大壁造りの漆喰壁の町家建築で、二階部分に虫籠窓が見られる。虫籠窓は角材に荒縄を巻いて土で塗り込んだもの。虫籠窓にはさまざまな説があり、防火目的と心理的な効果が狙いといわれている。また、二階造りの表を美しくみせるために生み出されたとも言われている。講評〔大阪市都市景観委員会〕 住吉街道沿いの古民家であり、往時を偲ぶ建物として貴重である。保存状態もたいへん良い。間口が長い江戸末期の日本家屋であり、黄味がかった漆喰壁に虫籠窓が特徴的である。このページの一番上へ戻る浅沢神社(あさざわじんじゃ)所在地住吉区上住吉2丁目11番21号概要 住吉といえば「初辰まいり(はったつまいり」が有名だが、初辰とは、毎月最初の辰の日のこと。この日に参拝すれば、より一層力を与えて守り助けてくれると信仰されている。商売発達のために遠方から訪れる人も多い。種貸社(たねかししゃ)、楠珺社(なんくんしゃ)、浅沢神社、大歳社(おおとししゃ)の四社をそれぞれにお参りするのが慣わしとなっている。古くからこの付近は池沼も多く、かきつばたの名所として万葉集にも詠まれた。平成9年(1997年)には、往時を偲ばせる「かきつばた園」が復活した。また、現存する柳は、古木ながら枝振りが隆盛で見る者にとってエネルギーを与え続けているかのように、たくましさを感じる。講評〔大阪市都市景観委員会〕 1997年に浅沢沼のかきつばた園が再生されており、住吉区の「区の花」でもあるカキツバタが咲く季節に訪れてみたい場所である。「初辰参り」の第3の参拝所であり、太くて立派な柳の古木が趣を醸し出している。このページの一番上へ戻る 極楽寺(ごくらくじ)所在地住吉区遠里小野5丁目11番2号概要 榎津寺(えなつでら)の極楽院が、この寺の前身とされているが創建は不明で、本尊の毘沙門天は信貴山の毘沙門天と同じ材といわれる。楠木正成の両親が本尊に子宝を祈願し正成が誕生し、そのお礼に正成が寄進したとされる、石灯籠(重要文化財)が境内に、また正成お手植えといわれる楠もある。講評〔大阪市都市景観委員会〕 毘沙門天をまつる堂は、簡素な建築であるが、地域の人々の篤い信仰によりきっちりと維持されているという印象を受ける。毘沙門天像が重要文化財であり、こぢんまりとした境内に、謂われのある燈籠、楠などがあり、歴史的な雰囲気を持つ。このページの一番上へ戻る 真宗大谷派西光寺(しんしゅうおおたにはさいこうじ)所在地住吉区苅田6丁目10番5号概要 真宗東本願寺派の末寺で、的場山と号す。阿弥陀仏を本尊とする。的場才門太郎というものが、正安年間(1299-1301)浄土真宗に帰依し本寺を草創したと伝えられる。弘冶年間(1555-1557)にいたって西光寺という寺号を称した。当時の住職浄円が中興の祖とされている。講評〔大阪市都市景観委員会〕 古くからの歴史を有し、門構えとひときわ高い搭状の建築、屋根瓦に特徴がある。土塀や門に囲まれているが、前面街路から楼閣や鐘楼が見え、隣接する苅田の大楠とともに、特徴的な景観を呈している。このページの一番上へ戻る苅田の大楠(かりたのおおくす)所在地住吉区苅田6丁目10番12号概要 苅田の鎮守様は、草津大歳神社といい、現在の苅田福祉会館のある場所に鎮座していた。大阪市の保存樹に指定されている「苅田の大楠」はご神木。講評〔大阪市都市景観委員会〕 民有地内にあり近づきにくいものの、巨木ゆえに公道上から容易に望見でき、隣接の西光寺とともに特徴的な景観を呈している。大阪市の保存樹として知られており、良好な状態で維持されている。このページの一番上へ戻る 止止呂支比売命神社(とどろきひめのみことじんじゃ)所在地住吉区沢之町1丁目10番4号概要 祭神は素戔鳴命(すさのおのみこと)・稲田姫命(いなだひめのみこと)。創建年代は不明だが神功皇后の創建とも伝えられている。若松神社は地元の愛称で、承久3年(1221年)後鳥羽上皇が行幸、造られた行宮を若松御所と名付けたことに由来。かつては住吉大社の摂社であったが、明治5年(1872年)分離し村社となる。講評〔大阪市都市景観委員会〕 あべの筋に面する広大な境内地は存在感があり、地域に貴重なオープンスペースを提供している。非常に魅力的な神社で、古くから現在まで地域の中心として親しまれてきたことが感じられる。地域のランドマークとしても、緑の景観としても、そして管理の状況もとても優れている。このページの一番上へ戻る 大阪市立大学(杉本キャンパス)(おおさかしりつだいがく[すぎもとキャンパス])所在地住吉区杉本3丁目3番138号概要 大阪市の南部、大和川を臨む地にある杉本キャンパスは緑豊かな清々しい環境が魅力の1つとなっている。杉本キャンパスのシンボル的存在である1号館(昭和9年(1934年)竣工)は国の登録有形文化財に登録されている。敷地中央にある「学術情報総合センター」は世界的に貴重な書物も含め約250万冊の蔵書を有し、教育・研究のための快適な環境を整えている。また、図書市民利用制度を設けており市民も利用できる。他にも八角形の大会議場・展示室等を連なる田中記念館、再生ガラスと透明ガラスを組み合わせた外壁と樹木が融合する高原記念館などがある。講評〔大阪市都市景観委員会〕 市内唯一の総合大学のキャンパス。登録有形文化財であるアールデコ風のデザインの1号館とその前面の整形式庭園広場は、シンメトリーに設計されており、シンプルではあるが大学の顔らしいシンボル性を有している。このページの一番上へ戻る蔵のある住宅(くらのあるじゅうたく)所在地住吉区墨江1丁目5番14号概要 大歳神社から国道479号線に向かうとすぐ左手に見られ、白壁と板壁の珍しい造りをしている。白壁と板壁の蔵、カイヅカイブキの古木、和風とモダンの住宅が美しく調和している。講評〔大阪市都市景観委員会〕 白壁よりも板壁の部分が多い珍しいデザインであり、保存状態も良い。同じ敷地内にある居宅も、和洋折衷の面白い建築である。歴史の変遷の名残をとどめた景観である。このページの一番上へ戻る大歳社(おおとししゃ)所在地住吉区墨江1丁目5番概要 住吉大社の境外末社で、祭神は大歳神 (おおとしのかみ) 。収穫の神であるところから、集金・商売繁盛・家内安全・願望成就に神徳があり、毎月最初の辰の日に参る「初辰まいり」では、種貸社、楠珺社、浅沢神社と参り、ここで集金・収穫に感謝してしめくくる。拝殿右横の石柱の上にある丸い石を「おもかる石」と呼んでいる。講評〔大阪市都市景観委員会〕 商売繁盛の御利益のある神社として、また、「初辰まいり」の最後の神社として親しまれており、気楽に訪れることができる名所となっている。拝殿横の石柱の上にある「おもかる石」についての言い伝えも興味深い。このページの一番上へ戻る住吉子安地藏寺(すみよしのこやっさん)(すみよしこやすじぞうじ[すみよしのこやっさん])所在地住吉区墨江1丁目6番7号概要 地蔵寺は承応3年(1654年)に僧承圓(しょうえん)が建立したという天台宗の寺院である。本尊の地蔵菩薩は、伝教大師作と伝えられ、地元では子安さんと親しまれている。平安時代の木造地蔵菩薩立像の優品で、大阪市指定有形文化財に指定されている。門前に百度石、門内に五大力尊像がある。講評〔大阪市都市景観委員会〕 それほど目立つ寺院ではないが、気楽に入ることができる歴史的名所であり、まち歩きのポイントにもなっている。本尊の地蔵菩薩は、地元では子安さんと親しまれており、大阪市の指定有形文化財に指定されている。このページの一番上へ戻る上田家住宅(うえだけじゅうたく)所在地住吉区住吉1丁目5番20号概要 明治43年(1910年)の建築、瓦葺き切妻屋根、出格子や駒寄せなどの伝統的な町屋の形態を持っている。HOPEゾーン事業のまちなみ修景補助制度により、改修された。昔の住吉らしいまちなみの面影が感じられる。講評〔大阪市都市景観委員会〕 HOPEゾーン事業により、瓦葺き屋根、出格子などの伝統的な町家の形態を保ちつつ修復された町家である。保存状態がきわめて良く、明治時代の町家建築を今に伝える建物として、たいへんに貴重である。このページの一番上へ戻る熊野街道(HOPEゾーン内)(くまのかいどう[ほーぷぞーんない])所在地住吉区住吉1丁目~上住吉2丁目概要 熊野街道は、和歌山県熊野本宮への参詣道で、平安時代から鎌倉時代にかけて「蟻の熊野詣」といわれる程、多くの人々の往来で賑わった。京都から淀川を舟で下り、八軒家(中央区天満橋京町)に上陸した人々は上町台地を縦断、途中所在する「熊野九十九王子(くじゅうくおうじ)」(住吉区では津守王子)と呼ぶ遥拝所をたどりながら熊野三山に至った。講評〔大阪市都市景観委員会〕 古街道の面影をよく残しており、歩いてみたくなる場所である。熊野街道と住吉街道が交差する付近では、HOPEゾーン事業により修景された建物も望見できる。このページの一番上へ戻る天王山東福寺(てんのうざんとうふくじ)所在地住吉区住吉1丁目7番15号概要 弘法大師が開祖した当時は熊野街道沿いに位置した。本尊の毘沙門天は、楠木正成の千早城における、念持仏といわれている。秘仏のため正月3日間にかぎっての御開帳が行われている。他にも、室町期の作の四天王が文化財として貴重である。講評〔大阪市都市景観委員会〕 寺院でありながら鳥居があり、その鳥居には「毘沙門天」の額がかかっている。神仏習合の歴史が一目でわかるような、面白い寺院である。方形の本堂をはじめとして、管理がよく行き届いている。このページの一番上へ戻る 池田家住宅(いけだけじゅうたく)所在地住吉区住吉1丁目9番22号概要 住吉大社の東参道4つ辻角にあり、表の屋根には高灯籠が置かれている。白壁の虫篭窓、防火防炎のため土壁のように柱を壁で厚く覆っている。老舗味噌屋の池田屋本舗として、今でも昔ながらの製法を伝えている。屋根に設置された高灯籠、白壁の虫篭窓等外観だけでも歴史を感じる。現在も昔ながらの製法で味噌作りをしているだけでなく、建屋の保存状態も良く、熊野街道沿いにあるので、江戸期が偲ばれる。国の登録有形文化財に登録されている。講評〔大阪市都市景観委員会〕 住吉街道と熊野街道の交差点という、歴史的に重要なポイントに立地していることに加えて、屋根の上に灯籠が置かれているなど、目をひく建物である。建物の保存状態も良く、景観資源にふさわしいものである。このページの一番上へ戻る生根神社(いくねじんじゃ)所在地住吉区住吉2丁目3番15号概要 創立は不詳であるが延喜式神名帳(927年)に記載されている。桧皮葺・壱間社流(いっけんしゃながれ)造りの建物で、正面千鳥破風や扉の装飾などに、桃山時代の華麗な様式を残す。江戸時代は住吉大社の摂社であった。生根神社本殿は大阪府有形文化財に指定されている。また、境内のクスノキ、モチノキ、エノキ、ムクノキは大阪市保存樹林に指定されている。講評〔大阪市都市景観委員会〕 拝殿の大きさに比べて本殿の規模がかなり大きい、珍しい神社建築である。また、安土桃山時代の本殿が華麗である。目立たない場所に立地しているが、静かな境内と美しい本殿・拝殿は、重要な都市景観資源である。このページの一番上へ戻る蔵のある屋敷町(くらのあるやしきまち)所在地住吉区帝塚山中1丁目、2丁目概要 帝塚山地区には屋敷町があり、近年の建物が建ち並ぶ中で和の懐かしい文化を今に伝える家が残っている。帝塚山の住宅開発の100年とともにある蔵。よく手入れされた屋敷に屹立する白壁の蔵がとても美しい。講評〔大阪市都市景観委員会〕 土蔵を併設した和風建築の邸宅は、お屋敷町としての帝塚山の歴史を伝えるものであり、景観的価値は高い。多くの住宅が建て替え、洋風化とともに姿を消しつつあるが、蔵のある景観は歴史の厚みを感じさせる。このページの一番上へ戻る高谷家住宅(たかたにけじゅうたく)所在地住吉区帝塚山中3丁目8番18号概要 国の登録有形文化財及び市登録文化財(建造物)に登録されている。関東大震災を教訓にした大正13年(1924年)頃の建築。耐震・防火を強く意識して鉄骨造り、外壁はレンガとコンクリートブロック積みで、堅固な構造。切妻屋根のてっぺんには風見鶏、二つの屋根窓と煙突が童話のような雰囲気を見せる。講評〔大阪市都市景観委員会〕 銅板切り妻の屋根の上に風見鶏をのせたつくりは、大正期のモダン建築の典型的な事例として貴重であり、帝塚山という地域の歴史を感じさせるものである。関東大震災直後の建築のため(1924年)、耐震性にも気を使われたようである。このページの一番上へ戻るWILL帝塚山(うぃるてづかやま)所在地住吉区帝塚山中4丁目10番14号概要 第22回(2002年)大阪まちなみ賞(大阪都市景観建築賞)奨励賞受賞。小さい限られた敷地の中で、外には近隣に開かれたギャラリーを角地に持ち、住人には中庭の古い立木を囲んだ共有空間を提供している。先代からの既存の土蔵や庭石を生かした試みは、ともすれば崩れゆく風致地区周辺の住宅地の中で、美しく心地良い凛とした存在になっている。講評〔大阪市都市景観委員会〕 マンションの建設に際して、以前からあった土蔵や庭石を生かしている。マンション住民は土蔵の外観や庭石を眺めて心を和ませることができる。周辺住民も土蔵を改造したギャラリーに、地域の歴史を感じることができる。このページの一番上へ戻る帝塚山古墳(てづかやまこふん)所在地住吉区帝塚山西2丁目31番概要 市内に残る4古墳のひとつで、5世紀頃の前方後円墳がほぼ原型をとどめているとされる。国の史跡に指定されている。埋葬者は不明だが、この付近に居宅があった豪族大伴金村の墓という説もある。万葉集第9巻1740番に「水江の浦島の子」が載っていることから、地元では浦島太郎の墓として伝承されている。古墳内にはフキ・ワラビ・ゼンマイ・ヤマノイモなどのほか、珍しいカンサイタンポポが群生している。講評〔大阪市都市景観委員会〕 大阪市内にある古墳はたいへん珍しく、「帝塚山」という地名のそもそものルーツとしても重要である。古墳内に立ち入ることができないのが残念であるが、まち歩きのスポットとしての価値は高い。このページの一番上へ戻る帝塚山スタジオ(市川家住宅)(てづかやますたじお[いちかわけじゅうたく])所在地住吉区帝塚山西4丁目4番39号 概要 「帝塚山スタジオ・市川恵子フラメンコ舞踊研究所」として知られる。漆喰の壁と木がフラメンコに最適なことから、土蔵を本格的なフラメンコスタジオに再生使用している。母屋の2階部分が洋館で和洋折衷を採り入れた造りは帝塚山地域でも非常に珍しい。土蔵や和洋折衷を取り入れた建物の造りから歴史や文化を感じる。講評〔大阪市都市景観委員会〕 和風住宅の2階にスペイン風洋館が載る和洋折衷の家屋と、フラメンコの練習場として利用されている土蔵とが、程よくマッチしてよい雰囲気を醸し出している。帝塚山地域の文化を感じさせる建築物である。このページの一番上へ戻る荘厳浄土寺(しょうごんじょうどじ)所在地住吉区帝塚山東5丁目11番14号概要 住吉の三大寺のひとつで、真言律宗の寺院。本尊は不動明王。創建は天慶年間の頃(930~946年)と推定される。応得元年(1084年)白河天皇の勅願寺として再建され名を賜る。四天王寺と並ぶ壮麗な寺院だったが、戦火などにあって、現在に至る。現在の堂は天和2年(1682年) に再建されたもの。不動明王立像・愛染明王坐像(あいぜんみょうおうざぞう)は大阪府の有形文化財、境内は大阪府の史跡に指定されている。講評〔大阪市都市景観委員会〕 住吉三寺のうち唯一現存する寺院として歴史的価値は高い。住吉街道に面していることから、まち歩きのスポットとしての立地もよい。住吉四天王寺とも称せられた寺であるが、中世の戦乱によりかつての巨大な本堂は消失している。このページの一番上へ戻る神須牟地神社(かみすむちじんじゃ)所在地住吉区長居西2丁目1番4号概要 延喜式内の古社であって、遠く二千年昔の創建と伝えられる。祭神は神産霊大神・天日鷲命・少名彦命とされる。古来、酒造、医薬の祖神として信仰された。本社殿は、慶長年間、兵火にあったが、豊臣の浪人、多賀谷氏他4名の協力により、元和4年(1618年)再建された。元文元年(1736年)、徳川幕府は本社および多米神社(ためじんじゃ)の荒廃を憂い、幕吏菅廣房に命じ『神須牟地社』『多米社』と刻する石碑二基を双方の地に建立し、今も現存している。「神須牟地社社号標石」及び「多米社社号標石」は、大阪市指定文化財に指定されている。講評〔大阪市都市景観委員会〕 境内地は、参道が2方向からアプローチしているなど、地域に対して開放的であり視認性が高い。また、唐破風の本殿も存在感がある。毎年、定期的に祭りが開催され、古くからの住宅街の中で地域と密着して現在も親しまれている。このページの一番上へ戻る保利神社(ほりじんじゃ)所在地住吉区長居東1丁目14番17号概要 神社創建の年代は不詳である。里伝によれば、足利時代に周防守(すおうのかみ)某なるものが本地に城を築いたとき、城の守護神として勧請されたといわれている。祭神は素盞嗚尊(すさのおのみこと)、大国主命(おおくにぬしのみこと)。境内に6基の力石がある。これは、力試し、力競べをするために使われた石で、村のあちこちに置かれていた力石が神社に集められて奉納されたもの。 また、境内には、クスノキ、エノキ、ムクノキ、ウバメガシの古木があり、大阪市の保存樹林に指定されている。講評〔大阪市都市景観委員会〕 境内地には公園が併設しており、大阪市の保存樹林により構成されることで、稠密な市街地の中の緑空間であり、貴重なオープンスペースとなっている。古木が多く、社殿を含め歴史的な景観を有している。このページの一番上へ戻る大依羅神社(おおよさみじんじゃ)所在地住吉区庭井2丁目18番16号概要 この神社は、当時の豪族依綱吾彦氏の祖神、建豊波豆羅和気王(たけとよはづらわけのきみ)、住吉三神を祭神としている。式内社で、古くは朝廷から住吉大社に次ぐ扱いを受けていた。神社の南側参道前には6世紀から7世紀に造成された日本で最も古いとされる依綱池跡碑があり、このあたりに古代朝廷直轄の耕作地「屯倉(みやけ)」が置かれていた。講評〔大阪市都市景観委員会〕 式内社であり由緒ある神社である。大きな神木、祠、社殿などがまとまって歴史的な景観の風格を維持しており、建物は造形も美しく管理も十分に行われている。このページの一番上へ戻る万代池公園(まんだいいけこうえん)所在地住吉区万代3丁目7番概要 万代池公園は、昭和15年(1940年)6月に開園された約4.4haの地区公園である。池の周囲にはサクラが植えられており、春の花の時期には池に浮かぶ小島から絶景を眺めることができる。講評〔大阪市都市景観委員会〕 住民の憩いの場としても、都市の緑地としても、重要な公共施設である。また、聖徳太子伝説もあり歴史性も備わっている。昭和15年に公園として開園したが、池自体の歴史は古く、上町台地の浸食谷をせき止めて造られたようである。池周囲には大きなサクラ並木がある。このページの一番上へ戻る閻魔地蔵尊(えんまじぞうそん)所在地住吉区東粉浜3丁目5番11号概要 地蔵が閻魔大王に化身したもので、難波の浜から背負って運んで来たが、この地で急に重くなり一歩も進めなくなったという。冥土の苦界六道の辻が、今では1本増えて七道の辻となっている。講評〔大阪市都市景観委員会〕 閻魔の顔をした地蔵は珍しい。学校帰りの小学生が立ち寄るなど、地域に暮らす人々にとっては、親しみのある場所となっているようである。六道の辻と言われるが、今は七道の辻となっている。このページの一番上へ戻る路面電車の走る住吉(ろめんでんしゃのはしるすみよし)所在地住吉区東粉浜1丁目~清水丘3丁目、帝塚山東1丁目~住吉2丁目概要 住吉区内を南北に走るこの路面電車は、1900年(明治33年)に大阪馬車鉄道として開業し、歴史を重ねながら1980年(昭和55年)に南海電気鉄道から分離独立し、阪堺電気軌道として今日に至っている。住吉区内では、神ノ木駅で上町線が南海電鉄の上を走っている、住吉駅で阪堺線と上町線が合流するなど、鉄道マニアの撮影スポットもあり、住吉の街並みにレトロな雰囲気を添えている。講評〔大阪市都市景観委員会〕 いつの時代でも変わらず市民の足となり親しまれている路面電車の走る風景は、周辺の景観に溶け込むとともに、住吉を代表する景観資源であると評価できる。このページの一番上へ戻るダウンロードファイル住吉区の都市景観資源紹介(その1)(PDF形式, 921.71KB)住吉区の都市景観資源紹介(その2)(PDF形式, 866.00KB)住吉区の都市景観資源紹介(その3)(PDF形式, 704.51KB) Adobe Acrobat Reader DCのダウンロード(無償) PDFファイルを閲覧できない場合には、Adobe 社のサイトから Adobe Acrobat Reader DC をダウンロード(無償)してください。 SNSリンクは別ウィンドウで開きます 探している情報が見つからない 情報が見つからないときは 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