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ホームイベントBBLセミナー2004年度 国際農業交渉の史的考察―日本の通商戦略、開発援助戦略に示唆するもの― 印刷 開催日 2005年1月25日 スピーカー 遠藤 保雄 (国際連合食糧農業機関日本事務所長) モデレータ 山下 一仁 (RIETI上席研究員) ダウンロード/関連リンク プレゼンテーション資料[PDF:260KB] 議事録 はじめに農業交渉は、国際経済の一体化に不可欠な交渉プロセスです。農業分野の貿易にはとかく「例外」があるものなのですが、これを「本来原則」に回帰させるプロセスです。それに伴って農業の構造調整が行われますが、これは政治経済調整を伴います。そして、これらのプロセスの背後には常に「アメリカ」という主役がいました。戦後国際農業交渉の2つの道として、(1)米国を基軸としたガット・WTOラウンド交渉、(2)対米関係を軸とした日米2国間交渉、があります。しかし、1990年代に入り日米2国間交渉はガットラウンド交渉に吸収されます。そして、(3)ドーハ開発ラウンド、に展開されます。(1)(2)は先進国間交渉だったのが、(3)では先進国・途上国間交渉になっていきます。はじめに、国際政治経済要因を簡単にみておきたいと思います。まず、ガットは東西対立・冷戦構造のなかで、西側の経済連携として締結されました。そして段階的な経済発展に伴い、相互対立が生まれてきます。60~80年代までそういう状態でしたが、冷戦構造の氷解により、米国を中心とした経済のグローバリゼーションがおこります。そして途上国の世界経済への包摂に伴い、「南」と「北」の対抗関係が生まれ、ドーハ開発ラウンドにつながっていきます。 ガットラウンド農業交渉の出発点1948年に制定されたガットは、基本的には自由貿易制度を守るための協定です。しかし農業交渉の場合はこれと全く違った要因が含まれました。ガット一般原則の各種特例規定・扱いの導入です。しかも、常に自由化を推進していた米国主導です。輸入制限の禁止の特例(ガット11条2項c(i))、もう1つは輸出補助の禁止の特例(ガット16条)、そして最も問題のあったガットウェーバーによる輸入制限の米国への合法化です。米国はどうしてこれらを導入したのでしょうか。それは、輸出補助と輸入制限を合理化したかったからです。米国の農業は非常に強大なセクターと比較的弱いセクターの二重構造です。強いセクターである小麦、とうもろこし等は生産過剰という問題があり、それを輸出補助、食料援助等で需給調整するという仕組みを、すでに30~50年代の農業発展の過程で抱え込んでいました。他方、弱いセクターである砂糖、酪農、綿花、落花生に関しては、生産制限なき輸入制限を認めさせて、国内の自由な生産を展開したい、ということでした。もちろん、こんなことができたのは米国が力をもっていたからです。そしてこういう特例措置に追随したのが、欧州・日本です。自由貿易を基本ルールとするガットが、なぜ農業に関しては特例が避けられなくなるのでしょうか。それは農業の経済構造そのものがもつトゲによるからです。まず、経済発展に伴い農業の比重は下がります(ペティ・クラークの法則)。しかし農業就業人口はすぐ減らないので、単位1人当たりの生産額は少なくなります。これは構造調整と直結し、当然政治に頼るようになります。また、日本でも農林業のGDP比は2%未満でも、国土利用は8割以上を占めていることでもわかるように、環境保全の問題に直結してしまうのが宿命です。もう1つは、生産の不足と過剰が紙一重で並存することです。第2次大戦直後は欧州・日本は食料不足でしたから、米国の過剰農産物を輸入しました。ところが生産がいったん軌道に乗り、今度は過剰になると、農産物価格の下落になり、保護主義、資源調整の困難という問題が起こり、政治で価格を下支えするので、政治経済の問題になっていきます。 ガットラウンド農業交渉ガットラウンド交渉は、米国主導によって設けられた特例を是正していく歴史だったのではないかと思います。では、各年代別にみていきましょう。(1)50年代(GDP比率:米・欧・日:39:17:1) 米国の経済産業による世界支配により、工業品を主体に4次にわたる関税引き下げ交渉が行われました。米国農業の動きとしては、小麦、とうもろこしの大増産と対欧州輸出が重要です。他方、過剰調整のため、強制減反と途上国を念頭においたPL480という特例援助法による援助輸出を行い、さらに余った穀物は飼料にして高付加価値のある畜産物をつくろうという大回廊計画をたてます。(2)60年代(GDP比率:米・欧・日:34:19:3) 欧州経済の台頭により、米・欧の二極化経済になります。欧州は1958年に関税同盟としてのEECを創設し対外共通関税を設定したことから、米国との間でこのEECとの関税代償交渉が行われました。農産物では、EECは可変課徴金(注1)の導入をはかりました。EECは「関税水準が変動するから関税ではない」と主張し、米国も最後にはこれを灰色のまま受け入れてしまいます。ただ代償として、EECによる油糧種子等の関税をゼロバインドとさせました。これがのちのウルグアイ・ラウンド交渉での火種になります。 そしてEECはこれを機に共通農業政策(CAP)の導入を検討しはじめます。これは欧州の食料域内生産の刺激と欧州の輸入の減少につながります。 63~67年はケネディ・ラウンドが行われますが、一時期より経済力が弱くなった米国とEECとの間の交渉となります。米国の農産物は過剰基調ですから、EECの対外農産物輸入の域内転換をいかに抑制するかが、米国の関心事項でした。 争点としては、関税については、米国は農工一体の50%カット、EECは農業の特殊性の考慮を主張。米国が数量制限などの非税障壁の「関税化」を要求し、欧州は対抗策として「域内保護水準の固化」(Montant de Soutens:MDS)をだします。もう1つは穀物市場の秩序化のための商品協定です。ここに穀物の価格帯の設定、過剰分の食糧援助化が始まりました。 ケネディ・ラウンドでは米・欧・日それぞれの農業戦略が明確になりました。米国は、輸出戦略作物の自由化追求と酪農品・食肉などの輸入制限という二元的な貿易政策です。ということは、自由化を追求しきれないので、結局最後は欧州に妥協するという体質になってしまいました。それに対し、欧州はCAPの根幹を維持するという戦略で、可変課徴金・輸出補助・国内支持を三位一体で確保します。この共通農業市場の形成が欧州市場統合の土台であり、ここには明確な思想があります。米国にも「自由化」という思想があるわけですが、日本は明確な思想がありません。日本は交渉上のメリットを享受しました。すなわち国境措置(高関税や輸入数量制限)の下での価格支持政策をとり、農業の特殊性の確保、MDSの拒否、関税化の回避に進みます。(3)70年代(GDP比率:米・欧・日:32:21:6) 73年の第1次石油危機により、トリレンマ(景気後退、インフレ、国際収支の悪化)がおこります。米国の産業競争力の低下、欧州経済の停滞のなかで、日本は工業品輸出国として台頭してきます。 このときに行われた東京ラウンド(73~79年)の農業交渉上の課題は、ECの「域内市場の確立」と「アフリカ・地中海国・北欧との特恵貿易関係の確立」の進行をどう制限・抑制するか、また米国は輸出先がECに加え、カナダ・日本と多元化し、輸出品目も小麦に加え、飼料穀物、大豆などの付加価値品に多様化し、交渉事項も関税だけでなく、輸出補助金や国内支持のことも含まれたり、発想が多角化してきます。さらに60年代と違うのは、世界的な穀物需要の増大、ソ連の不作、需給のタイト化、大豆の禁輸などで、食料安全保障の問題がでてきます。 東京ラウンドでの合意は、「スイス・フォーミュラ」に留意した関税引き下げ、輸入数量制限の軽減、輸出補助規律の運用強化と補助金コード、と関税以外の障壁にも手が加えられたのが特徴でしょう。しかし、食料安全保障に必要な貿易安定化と商品協定については、なんの成果も得られませんでした。 日米農業交渉ここで少し、日米農業交渉の歴史をみてみましょう。 日米農業交渉は、日米貿易不均衡、米国の対日輸出利害、ガットルールとの整合性、この3つを軸に展開します。ただし、この3つが同時に展開したわけではありません。まず50~60年代、日本の経済復興に伴い、農産物の需要が拡大しましたので、穀物を中心に輸入が拡大していきます。60年末~70年代半ばは、日米両国間で相互補完的な農作物貿易が展開し、蜜月期といえます。日本は小麦、とうもろこし、大豆などの土地利用型作物生産が大幅に後退し、農業の選択的拡大で、畜産生産の拡大、植物油脂産業の発展がみられます。ただ、70年代に入ると日米間の貿易不均衡は大きな問題になってきます。そして米国は、牛肉・オレンジなどの高付加価値品の輸出に転換してきます。そうすると日本の選択的拡大戦略と対立してくるわけです。そこで牛肉・オレンジ自由化交渉が、第1次(78~79年)、第2次(82~84年)にわたって行われます。80年代半ば以降は、2国間交渉も「自由化」「非関税障壁のガット整合化」交渉へと変質します。まず、農産物12品目問題ですが、非関税障壁はガットに整合しないという裁定(88年パネル裁定)により、ガット上の農業の特例的扱いを見直さざるをえなくなりました。第3次牛肉・オレンジ交渉では、完全自由化のかわりに牛肉に関し、関税の分を農家に直接支払うという制度が導入されました。それと、86年、89年にコメの通商法301条提訴があり、「聖域」なき交渉へと発展し、これがウルグアイ・ラウンドにつながっていきます。日米農業交渉をみていくと、日米の戦略の差がわかります。米国が農業再活性化という戦略をもっているのに対し、日本は外圧対応型です。日本はどう政治的制約を調整するかに始終しています。ただ、そこにはもともと農産物のコストが高いうえに、変動相場制の導入で1ドル360円がいきなり100円台になってしまったことに伴う大幅な内外価格差があり、日本農業のつらさがあったわけです。 ウルグアイ・ラウンド交渉では、ウルグアイ・ラウンド交渉はどういうものだったでしょうか。 まず、一般産業分野では米欧(保護主義)と日・アジア(輸出拡大)との対立があり、また地域主義の世界的広がりがありました。そのなかで米国農業界は、保護主義抑制、相互主義・地域主義抑制に非常に存在感をあらわしました。米国は80年代に入り、壮大な農業改革を行います。このころ、農産物の国際的な過剰化、ECの農産物輸出国化により、輸出補助金競争がおこり国際市場は混乱、米国の農産物輸出は半減し、農業不況に陥ります。米国の価格支持予算は80年前半から半ばにかけて10倍にふくれあがります。一方、OECDでの先進国農業保護の計量分析の進展がありました。そこで米国は、ガット本来のルールへの整合を追求しようとしました。ECにはCAPの基本的改変を、日本には非関税障壁(輸入数量制限)の除去を求めるかわりに、農政の市場依拠型への改変とガット・ウェーバー下での輸入障壁の除去を追求するという、抜本的な改革に乗り出すのです。交渉対象を今までの「国境措置」プラス「輸出補助、国内支持」に拡げました。合意事項は、輸入数量制限の関税化、輸出補助の数量・金額両面での削減、国内支持措置のAMS(保護の計量手段)(注2)での削減と生産・貿易歪曲的でない手法の導入、今すぐ実行できないことの継続交渉規定とその間の紛争事項の停止、また日本は「非貿易的関心事項の考慮」を提起しました。ほかに途上国の農業協定への内包があり、これがのちにドーハ・ラウンドでさまざまな問題を生じさせるもととなりました。ウルグアイ・ラウンドでの合意が米国・EU・日本での農政改革の取り組みを非常に加速させます。共通するのは市場経済主義重視です。米国は1996年農業法を施行します。それまで行われていた生産調整をやめて、農家への直接支払いも固定化します。米国は自国の作物の競争力で国際市場を支配できると考えたのです。EUと日本は、それまで価格支持をしながら構造調整をしようとしていたのですが、うまくいかなかったので、市場メカニズムに基づいてする方向に転換しました。直接支払いに生産制限や環境保全の要素を組み合わせていきます。特にEUは過剰農産物をかかえて財政は悪化し、国際競争力も落ち、共通農業政策の根幹が揺らぐし、さらに大農業地帯である東欧がこれから加盟してくるというプレッシャーがあり、なんとか農政の合理化を進めなければという危機感がありました。日本はコメの実質的関税化に踏み切ります。これで交渉の入口には立てるようになりました。そして食糧法で、コメの川下で市場メカニズムを働かせ、需給調整をやっていこうとしました。 ドーハ開発ラウンド2001年ドーハ開発ラウンドが始まりました。まず、基本的にはウルグアイ・ラウンドに規定された農政改革の追求、非貿易的関心事項の考慮、そして開発途上国に対する特別かつ異なる待遇をどう反映していくか、ということでした。新しい交渉環境としては、まず、米国経済の再生、EUの統合の進展、デフレに悩む日本、そのなかで米国スタンダードのグローバリゼーションの動き、農業・工業を問わず市場メカニズムの役割増大があります。2つめに途上国の多様化と台頭で、世界の工場としての中国、ブラジル・アルゼンチン、インド、タイ等アセアンが台頭してきました。そして途上国の関心は「農業・繊維」、対する先進国の関心は「投資、サービス」です。3つめは地域主義の深化です。では、農業分野の交渉環境はどうかというと、まず国際農産物市場の90年代末以降の低迷があります。原因はアジア通貨危機ともいわれていますが、私は中国が増産に踏み切ったこと、中南米、特にブラジル・アルゼンチンの主要穀物の生産増強が原因だと思います。そして中南米の生産増強の裏にはアグリビジネスがいる、ということに留意してください。そして中南米農業の台頭は米国農業に非常に影響を与えます。また、WTO規律を途上国にあてはめると市場に適合しないという問題があります。あとはアグリビジネスの国際的展開に伴い、農業利害とのずれが生じてきていることです。それは独自の経済圏、貿易圏をつくり、米国から離れて、いろんなところに生産地域をつくり、そこから輸出をしはじめています。ドーハ・ラウンドの農業交渉における各国の戦略はどうだったでしょうか。米国の戦略は競争力の相対的減退の巻き返しにあります。それで先進国・途上国間での農業政策調整をはかり、特に将来、経済的成長、人口の増加の期待される途上国の自由化を追求します。EUの戦略は、これからの途上国での需要の増加をにらんで、価格競争力の強化です。そして中東欧の統合に備えて、一層のCAP改革を進めることです。それにはWTO交渉が外圧としてうまく活用できるということです。一方、途上国の戦略は二元的です。途上国は農業がGDP比で30~80%も占めているのに、穀物については大輸入国となっています。なぜなら先進国の穀物のほうが安いからです。それで攻めの視点として、先進国の輸出補助・農業保護の削減要求をします。そして競合する農産物については先進国市場の開放を訴えて、自国農業への圧迫を回避しようとします。守りの視点としては、食料安全保障からいっても自国の農業を発展させたいですから、特別待遇を追求します。しかし、これは米国の戦略と対立してしまうのです。ここでひと口に途上国といっても、2つのタイプに分けられます。1つは経済発展がうまくいった、アセアン、中国、ブラジル・アルゼンチン、インドなど、もう1つは内戦・ガバナンスの悪さで経済が停滞しているアフリカ、南アジアです。 そして日本の戦略は、農産物価格の内外価格差の是正が課題で、非貿易的関心事項での配慮を追求し、構造調整の時間を確保すること、また市場メカニズムの活用、選択と集中、高生産性農業の追求と農村維持をどう両立させるか、ということです。しかし一般産業界は、WTO上のシンガポール・イッシューの扱いの後退により、WTO交渉よりFTAに傾斜してしまっています。ドーハ開発ラウンドの流れは、まず米国による原則論的提案、スイス・フォーミュラによる関税25%カットという大幅削減案が提出され、輸出補助廃止をかかげるなど、ゼロ・オプションなものでした。それでEU、日本は反発します。ところが、突然米国とEUが共同テキストをつくってしまいます。問題なのはここに日本の姿がないことです。米国は90年末には競争力減退により、不足払い的な政策を復活せざるをえませんでした(注3)。固定支払い、自由な作付け、そして輸出価格下落時には追加的な支払い(反循環支払い)を導入しました。これは極めて「黄色」の政策です。しかし、これを国際舞台で拒否されたら政権はもたないという状態でした。そしてEUはこれを認めるかわりにCAP合理化案を認めさせました。途上国は当然反発します。そこで先進国と途上国の意見調整が始まり、NG5(米国、EU、ブラジル、インド、オーストラリア)を軸にして、2004年7月基本枠組みの合意となりました。日本は先進国の農業政策をベースにした貿易戦略の場に関与できませんでした。しかもNG5にも入っていません。NG5は農業だけの交渉の場ではなく、サービス分野やシンガポール・イッシューについても議論していたのです。これでは、日本の通商政策交渉の場はどこにあるのでしょう。農業構造調整に手をこまねいていた結果がこれなのではないかと私は懸念しています。ドーハ開発ラウンドの基本枠組みは、米国にとっては、反循環支払いを「青」の政策と認めさせ、関税の階層方式での削減、輸出補助金の期限を明示しての廃止をベースに対外農産物の拡大と輸出利益の農家への還元をはかり、他の国と痛みを分かち合うかたちで米国農政の改革、国内助成の削減を進める「器」を整備するということでした。EUにとっては、輸出補助金の期限を明示しての廃止によって、途上国のCAPの否定を回避し、かつ「青」の政策の国際的容認と市場アクセス面でセンシティブ品目への弾力的な対応の確保により、拡大EUのもとでCAPの合理化を追認することができました。途上国にとっては、WTO体制への包括的統合という事態を迎えたなかで、途上国農業の特別待遇を求めていくということです。併せて農業の発展や食料の安定供給の観点から、先進国に輸出補助などの削減を求め、輸出アクセスの改善を求めてくるでしょう。日本にとっては、コメを筆頭として関税上限設定問題がどう取り扱われるか、センシティブ品目の関税引き下げの弾力的対応など、具体的対応はこれからの交渉に委ねられ、先行きは不透明です。 今後の国際農業交渉に必要なこと農業交渉は非常に難しいです。なぜかというと、立地条件(土地、労働力、資本)に規定される規模で、生産性、競争力に違いがでてくるからです。先進国では米国・オセアニア対欧州・日本ではかなり違います。また、市場メカニズムにも限界があります。価格需給変動が大きいからです。農産物は自給的性格が強く、限界生産部分の貿易であること、輸出国の地域的偏り・寡占化があること、大生産地域での輸出・輸入の振幅が大きいことによります。さらに、生産と貿易が競合すると輸入調整せざるをえなくなります。温帯産品は先進国間で構造調整が必要で、一方、熱帯産品は南北間で相互補完の関係にありますが、競合産品であるコメや砂糖は南北間で対立しやすいです。また、輸出国の新規参入や農産物代替品の影響を大きく受けます。あと、アグリビジネスと農業との利害のずれがでてきていることです。今後の国際農業交渉では、WTO交渉とFTA交渉という重ね型での展開であることに対応しなければいけません。利害調整も難しく、市場メカニズム対応先行か、セーフティネット準備型の対応先行か、二元化する対途上国戦略準備型の対応か、判断しないといけませんし、貿易での配慮だけでいいのか、開発援助での配慮を組み合わせるのか、ということも問われてくると思います。最後に、日本の「国」としての総合戦略が必要だと思います。農・工・サービス一体となった総合通商戦略が必要です。特に途上国は自由化にものすごく抵抗してきますから、市場の失敗対応を前面に打ち出した市場自由化戦略、FTA、EPAを結ぶとしたら途上国との格差に配慮した通商戦略が必要です。また遅れている途上国に対して、開発援助的な視点をもつことも大事なのではないかと思います。 脚注注1 EEC内の支持価格と実際にはそれよりも高い価格で変動する価格との差額を徴収するというもの。注2 農業支持の指標。(内外価格差×生産量)+農家に対する直接的な補助金。ウルグアイ・ラウンドではこれを6年間で20%削減するとした。注3 米国の保障価格と国際価格との差額を政府の財政負担によって農家に直接支払う制度。1996年農業法でいったん廃止されたが、2002年農業法で別の形で復活。 質疑応答Q:米国は交渉において、攻めの姿勢が強いように思いますが、日本は米国とどこが違うのでしょうか。 A:日本は「農産物を輸出する」という発想が今までなかったのではないでしょうか。ナシやミカンなどは以前から輸出していましたが、戦略品には育ちませんでした。ただ、ここにきてアジアの経済成長に伴い、少々高くても品質がよければ買うという流れがでてきました。そしてトライしてみようとする農業者もでてきています。しかし内外価格差が非常に大きいものは、やはりコストをさげなければいけません。そのためには欧米の直接支払いとは違った、農業を育てるための経過的な補償を考えたほうがいいと思います。 Q:今までの日本の農業政策について、どう思われますか。 A:国境措置の下での価格支持政策は、構造改革を進めるのには残念ながらうまくいきませんでした。でも農家を貧困から救い、安定させるためにはよい政策だったと思います。農地改革を行い、食管制度でコメをベースとして生産を刺激し、食糧を安定供給し、雇用の機会をつくって、ということで、日本の経済発展の基礎をつくったのだと思います。ただし、それは70年代までで、その時点で市場メカニズムを考えた農政ができていたら現在はだいぶ違っているような気がします。 しかし日本の農業政策は、東南アジアなどの貧困解消、経済発展のベースとして、十分模範になるのではないかと思います。 この議事録はRIETI編集部の責任でまとめたものです。 イベント シンポジウム ワークショップ BBLセミナー 2024年度 2023年度 2022年度 2021年度 2020年度 2019年度 2018年度 2017年度 2016年度 2015年度 2014年度 2013年度 2012年度 2011年度 2010年度 2009年度 2008年度 2007年度 2006年度 2005年度 2004年度 2003年度 2002年度 2001年度 終了したセミナーシリーズ 情報発信 ニュースレター 更新情報RSS配信 Facebook X YouTube 研究テーマ プログラム (2024-2028年度) プログラム (2020-2023年度) プログラム (2016-2019年度) プログラム (2011-2015年度) 政策研究領域 (2006-2010年度) 経済産業省共同プロジェクト プロジェクトコンテンツ 調査 フェロー(研究員) 論文 ディスカッション・ペーパー(日本語) 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